私と嵐と趣味を認めなかった母親の話
こんにちは、こんばんは。
今回の記事は「アイドル」という趣味を否定された幼い私を抱きしめることと、主にその趣味を全否定していた母親との(あくまでも私の中だけでの)仲直りのために書きます。
一方的な、自分のための記事です。
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私にとっての最大の趣味は「ジャニーズ」です。
その最たるきっかけは「櫻井翔さんの大学卒業ニュース」でした。
私の家では、子供たちにチャンネル権があるのは夜7時から9時までで、学校から帰ってきて目にするのは「夕方のニュース」というのがお決まりでした。
その日、そこで何度も取り上げられていたのが「慶應義塾大学を卒業したジャニーズアイドル嵐のメンバー櫻井翔さん」でした。
茶色の髪の毛にスーツ姿で、たくさんの人に囲まれていた、1人の男の人。微笑んでカメラに卒業証書を見せてポーズを取っていた櫻井さんのことは、きっと一生忘れないでしょう。
アナウンサーさんが読み上げた「さくらいしょう」名前を聞いて彼を知った私は、初めてテレビの中の人にかっこいいという感情を抱きます。
この時すぐさま母親に「櫻井翔くんっていうんだって!かっこいい!」って話しかけました。
でも、まな板の上の野菜を刻むことに忙しい母親はこちらを振り返ることもなければ、私の言葉に同意することもありませんでした。
「はやく宿題やって」
返ってきたのは、その一言。それで終わりでした。いつもの事です。だって、母親は忙しいから。
結婚した今、それがすごく分かります。今の私に子供はいないけど、それでも夕方ってすごく忙しい。
あの時の母親には私の下に2人のチビもいたから、今の私の何倍も忙しかったはずなんです。
素敵な人がいた、かっこいいと思った、そんな気持ちを知って欲しかった。だから、この反応はやっぱりちょっと残念でしたけど。どこかでは、この反応であったことも分かっていたんです。
この時の一般家庭にはスマホもないし小学生が自由に使えるパソコンもないので、この時の私にはテレビで見た顔と名前しかわからなかったけど、それでもたまに見かけるCMで同じ顔を見つけると嬉しかったです。
見つけるたびに母親に報告していたけれど「かっこよくない」「隣の人の方がいい」と一度も同意してくれなかった事だけはよく覚えています。
でも、学校の授業でインターネットやパソコンについて習い、父親しか使わなかったパソコンをいじれるようになりました。
Yahooの検索バーに習ったばかりのかな打ちで「さくらいしょう」と打ち込みました。
Wikipediaに載っていることを一言一句暗記するまで読んで、胸がドキドキしました。知らないことを知る、その感覚に胸を躍らせていました。
そんなことする時間あるなら宿題しなさい、パソコンばっかりやらないで。何十回何百回と母親に怒られたかわからないけど、やめませんでした。
翔くんのこと、嵐のこと、もっともっと知りたくてパソコンの使い方はメキメキ上達しました。
母親は私がインターネットやテレビばかりなことがあまり嬉しくないような素振りを見せていたけど、なにせ下の兄弟が小さくて手がかかるから、そのうちその手の小言は(あまり)言われなくなりました。
その頃、同じクラスの子達が夢中だったのは「V6」でしたね。
もちろん私も「学校へ行こう!MAX」を見ていたし、誰が好きかと聞かれれば「長野くん」と答えていました。
(物腰柔らかくてあったりしてる雰囲気なのに喋るととっても面白い!)
1番好きなのは「嵐」で「翔くん」だったけどクラスの子たちは嵐も翔くんも知らなかったし、小馬鹿にされるので言わなかったんです。我ながら、ちょっと悲しかったですけどね。
わたしはこの頃から幾度となく母親に「嵐のファミリークラブ(公式FC)に入りたい」と頼んでいました。
「お小遣いを貯めたから、それを使いたい」
「誕生日プレゼントにして欲しい」
「今よりもお手伝いを頑張るから」
どんな言い方をしても、いいよと言われることはなかったですけどね。
これといった趣味を持ったことがない母親にとって「5000円という大金をアイドルのために払うこと」は理解できない行為だったんだと思います。
ましてや、小学生だった私がそれを言い出したので「インターネットを通じてバカなことを覚えてしまった」くらいには思っていたんじゃないかな?分かりませんけどね。
中学生になってからは、家で聞いてもらえない代わりに、周りにバカにされてもいいから「嵐のこと」「翔くんのこと」を話したくて、学校でも話していました。
掲示板等のコミュニティを見ることも覚えて、それを見たりごくごくたまに書き込んだりして楽しんでいました。
学校では一方的に話すだけだったし、掲示板だってもっぱら見るばかりだったけど、それでも誰かに話せるのは嬉しかったです。
それが功を奏して(?)友達が「嵐が好きな子がクラスにいる」とその子の親に話してくれて、嵐のライブDVDを見ることができました。
その時見たのは「Time」
歌って踊って楽しそうでキラキラした衣装とスポットライトがいっぱいの空間は眩しくてかっこよくて、何度も何度も見ました。
そんなに好きならとかなり長いこと貸してくれました。
その間にしつこくしつこく母親を誘って、一緒に見てもらったこともあるけど相変わらず母親が「私がおすすめする翔くん」を褒めてくれることはなかったです。
今となっては母親は「自分はこう思う」を言ってただけなんだと思いますけどね。
それからそんなに時間がたたずに、嵐が10周年を迎えました。
嵐も翔くんも知らなくて私のことをバカにしていた友達が、みんな口を揃えて嵐を褒めたり私に嵐の話をしてくるようになりました。
(たぶん、10周年の前から10周年を迎える頃を経験した人は一様に形容し難い気持ちを味わったことと思います)
毎日テレビに出て、CDもじゃんじゃんリリースしていたこの頃嵐は「一大ムーブメント」「推され」「金のなる木」状態でしたからね。
クラスメイトは続々と嵐のファンクラブに入会し、会報の話やコンサートの話を楽しそうにしていました。
ずっと昔から好きなのに、話に入れないことが悲しくてみんなが知らないアイドルを探し始めました。
エイトやA.B.C-Zという別のアイドルをみつけ、そこに逃げることでモヤモヤを処理したんです。
私は未だに嵐のFC会員にはなれず、何度母親に頼んでも一貫して否定され続けていました。
親にダメと言われたことをこっそりやるだとかそういう考えそのものがなかった私には、ただ惨めになるしかなかったのです。
FC会員になれないことも惨めだったけど「あんなにずっと好き好き言ってたのに、会員じゃないんだあ」「あんたはコンサート行けないんだあ」ってバカにされることが一番しんどかったです。
性懲りも無く母親に同じ頼みをしに行ったら、その日はいつもと違う答えが返ってきました。
「ファンクラブファンクラブって言うけど。あんたはそんなにお金をドブに捨てたいの?」
何を言われているかわかりませんでした。
一つだけわかったのは、これ以上母親にこの事を頼んでも無駄なんだと言うことです。
私は、この事を家で言うのをやめました。
この時、私の周りでは「親子ともども嵐にはまっちゃいました」みたいなのが多く、母親のママ友にも嵐好きはいっぱいいました。
母親は徐々にアイドルにお金を使う事がおかしな事では無いのかもしれない、そんなふうに思ってくれたのかもしれません。
あとは、長年否定し続けてきた趣味を持ち続ける私のことを可哀想に思ったのか。わからないですけれど。
ある日急に
「高校受験終わったら、ファンクラブやれば」
「頑張ったご褒美ってことで最初の会費は出してあげる」
そう言われました。純粋に嬉しかった。
高校受験は何とかなり、無事に会員証も届きました。薄いプラスチックの板が宝物になりました。
携帯電話を買ってもらい、Twitterを始めたらあっという間にたくさんの友達ができました。
嵐が好きな友達、A.B.C-Zが好きな友達、ジャニーズ全部好きな友達、、、地元しか知らない私には広すぎる世界におっかなびっくり飛び込みました。
好きなものを互いに認め合う世界は居心地が良く、初めての感覚でした。
母親は「娘がインターネットで友達を作る」ことに警戒していたけど、家で共感してもらえない嵐の話を掲示板で楽しんでいた私にとって、そんなものはいらぬ心配でしかなかったです。
現場に行くため、バイトも始めました。
私が今まで置かれていた窮屈で苦い世界は、もうどこにもありません。
働くって大変だ。お金って大切だ。16歳の私が社会の一つひとつを学ぶ根底にはいつも嵐をはじめとするジャニーズの事柄がありました。
夜行バスに乗ることも東京ドームに向かうことも長い長いグッズ列に並ぶことも全てが楽しかったです。
私の前も後ろも隣もみんな同じ人が好きなファンなんだと思うと、嬉しくて嬉しくて堪らなくて、赤の他人だけど大切な味方であるような感覚に胸がいっぱいになりました。
こんな言い方は大袈裟かもしれないけど、チケットのやり取りで自分のような小娘を大人として扱ってくれることに感動しましたし、それに相応しくなければと、(当たり前だけど)きちんとした行動を心がけていました。
「大人になる」というのがどう言うことなのかを教えてくれたのは、間違いなくこの時の経験だったと思います。
住んでいる県を飛び出してあっちこっちに行ってはニコニコして帰ってくる私に、いつしか母親も何も言わなくなっていました。
それからしばらくして、私の影響で妹が関ジャニ∞が大好きになりました。
そこで、地元で開催される関ジャニ∞のコンサートに母親と妹で行かないかと誘ってみたんです。
単純に私が見ている素晴らしい世界を見て欲しかったですし、これはある種の復讐でもありました。
あなたが頑なに否定してきた事がこんなに楽しくて美しくて幸せな事だったと思わせたかったんです。
母親は大きな音やたくさんの人に少し戸惑いながらも、終始楽しそうにしていました。
その日から、ぽつぽつと「もうちょっと話を聞いてあげればよかった」「一度言ったことだから、引っ込みがつかなかったのもある」「あなたの言ったことに対して、そうだねって肯定するべきだったよね」そんな風に言うことが増えました。
「あの時は、ごめんね」
その、ごめんね。は小さな声でした。
その声が聞こえた時、私の復讐は成功したと感じました。
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今の私には、ジャニーズの他にも趣味がたくさんありますが、母親はもうそれを否定しません。
ある時何気なく「今これがアツくて!」と話したら「お母さんそれ(私が新しくハマった趣味)は分かんないけど、楽しいならいいと思うよ」と言われたんです。
その夜、私はちょっとだけ泣きました。
母親の中の価値観だけで、全ての事を決めていたのに「私は好きじゃない(分からない)けど、あなたが好きということは否定しません」と言ってくれたことが、考え方が変わっていたことが、嬉しかったんです。
世の中にはいろんなものが溢れていて、それが自分と合う合わない、好き嫌い、当然あります。
でも、誰かが何かを好きだという気持ちを否定することは誰にもできないですから。
他人に自分の好きなものを押し付けてはいけないように、他人の好きなものを勝手に否定してもいけない、当たり前のルールです。でも、一番破られがちなルールでもあるんです。
私は、これを「櫻井翔くんを好きになる事」を通して学んだし「好きを否定される事」がどれくらい悲しいかも知っています。
私の中には今も心の暗いところで膝を抱えている小学生の私がいます。
でも、この記事を書き終えたらその子を迎えに行って、そしてぎゅっと抱きしめて一緒に泣こうと思います。
それから、次に実家に帰ったら母親を誘って久しぶりにTimeでもみようと思います。
おしまい!